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ラグラン (モニター) : ミニ英和和英辞書
ラグラン (モニター)[らぐらん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラグラン : [らぐらん]
 (n) raglan, (n) raglan
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラグラン (モニター) : ウィキペディア日本語版
ラグラン (モニター)[らぐらん]

ラグラン (HMS Raglan) はイギリス海軍の艦艇。アバークロンビー級モニターの一隻。
== 艦歴 ==
1914年12月1日起工。1915年4月29日進水。同年6月24日就役。艦名は最初ロバート・E・リー (Robert E Lee) であったが、1915年5月31日にM3となり、同年6月19日にロード・ラグラン (Lord Raglan) となった後、23日にラグランとなった。
就役後、アバークロンビー級モニターは4隻ともガリポリの戦いに投入された。ラグランは1915年6月28日にイギリスを離れ、巡洋艦ダイアナに曳航されてダーダネルス海峡へ向かった。ラグランは7月22日に現地に到着した。
ガリポリの戦いが終わると、アバークロンビー級4隻のうち2隻がイギリスに戻ったが、ラグランとアバークロンビー地中海に残った。
1918年1月20日、ラグランはモニターM28とともにインブロス島北東部のKusu湾に停泊していた。この日、トルコの巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムと巡洋艦ミディッリがダーダネルス海峡から出撃してきた。2隻は発見されること無くKusu湾に接近し、インブロス島北東部で哨戒中であった駆逐艦リザードが2隻を発見した。トルコ艦隊はリザードを追い払った後2隻のモニターに対して攻撃を開始し、ミディッリの第4斉射でラグランに命中弾が出た。この後さらにミディッリから機関室などに命中弾を受け、それからヤウズ・スルタン・セリムの280mm砲弾が命中した。これにより主砲が使用不能となり、艦の放棄が命じられた。攻撃はこの後も続き、ラグランは爆発を起こして着底した。ラグランの戦死者は127人〔''Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1914-1945'' 38ページ。''British Warship Losses in the Ironclad Era''では戦闘での死者は122人とある。〕で生存者は93人であった。また、この戦闘ではM28も撃沈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラグラン (モニター)」の詳細全文を読む




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